死ぬ権利について真剣に考えるブログです
正直な話、ブログであろうとSNSであろうと実名の発信が望ましいのだが
いろいろな妨害や攻撃に耐える力がないため、私が最も問題意識を持ち、最も発信したいと思っていた内容を匿名で書き連ねていきます。
私がこのブログで発信したいことは
”死ぬ権利”について
私が死ぬ権利について考えたのはもう何年前か覚えていませんが
安楽死や死ぬ権利の問題を知ったとき、安楽死制度を考える会という政治団体は、まだ安楽死党という名前でした。
死ぬ権利について考えたということは
自分が死にたいと思ったことがあるのか?という話ですが
あります。
というか、生きたい理由がない時は基本的に死にたいと思っています。
なぜ人は生きたいと思うのか
そもそもなぜ人は死を恐れるのか
もし、死の恐怖を克服できたら人はどんな行動をするのか
そんなことを四六時中考えていた時期もありました。
で、私は何やかんや生きているんですけど
やっぱりいつ何があって死ぬより辛い状態になるかわからないし
私以外の人間だって、みんなが生命至上主義者というわけじゃない
それどころか、安楽死に反対する人でさえ生命至上主義社と限らない
ただ人が死ぬ、死を望む人間がいるという現実から目を背けたいだけという人も
まあ、人が死ぬとか、誰かの死を認めるとか
感情的になる理由は察するし、倫理に対する挑戦であることもまあ分かります
しかし安楽死に賛成する人と反対する人はお互いに論点が全く違うのが面白いところ
ちなみに、私はもともと死ぬ権利には全く抵抗がなく、商人として生きる過程で
やっぱり安楽死って取り入れた方が良いよなあと思います。
再度、容赦いただきたいのですが
私はこのブログ内で、自分が誰であるか明かすつもりはありません。
でも、死ぬ権利については人一倍深く考えている自信があるし
死ぬ権利について考えを突き詰めていくと、思わぬ社会の問題や、人間の抱える根源的な問題に出会すこともあります。
私はこのブログを通して、死ぬ権利に対する新しい視点や、生命至上主義の反省、人権団体の欺瞞など、安楽死の議論によって浮き彫りになっている社会問題についての意見を発信していく予定です。
ちなみに私は相当過激派で「受刑者と債務者と法定代理人を除き自由に死ねる世界」を望んでいます。死ぬより辛いことを避け、死んでも受け入れられない悪に立ち向かい、命より大事な使命のために命を賭けられる。そういう世界でこそ、本気で人間が幸福追求できるんじゃないかと考えているからです。